プロレスとブロガー、ブログでプロレスを「興行」として行うための考察

By | 2017年12月3日

私はプロレスそのものを否定する気は全くありません

純粋な議論ではなく、「興行」として行う言論が有ってもよいのではないのか、と思うのです。

ただし、それはアクセスありきの炎上狙いではなく、言論を盛り上げるための手法として、ですが。

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「言論のための仮想敵」と「ブック」としてのブログ

最初から炎上ありきの意味でのプロレス的な書き方つもりは全くありませんが、特に政治的なテーマを扱うときに右側のロジックと左側のロジックの両方の視点があっても良いのではないかと考えます。

もちろん右側のロジックにおいて、そこに差別的な言動やレイシズム的な考えのは排除すべきですが、少なくとも「常識的な」思考を持った左翼も右翼も、根底的な考えとしては、「この社会もしくは、この国を良くする」事が根底にあるのですから、お互いに議論をする事自体は非常に良い事のではないかと思うのです。

そこにはいわゆるプロレスで言う「台本」すなわち「ブック」があっても良い、とさえ考えます。

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言論で「戦う」ためのプロレスの可能性

それらの議論をより深く広めてゆくために、ブロガーAとブロガーBが存在した場合、その二人がも最初から「喧嘩」をする事を示し合わせ、そして、熱っぽい口調でお互いの議論を深める。また、お互いの議論における矛盾点などを指摘し合う、それは読んでいる人にとって非常に面白いブログとなるのではないでしょうか。

また、それは左右両陣営にとって考えさせられるブログともなるでしょう。無論、議論の中に相手の人格を貶めるような表現は絶対にすべきではありませんが。

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最初から結論有りきの議論でも良い

そのような事をした場合、議論が思わぬ方向に向かっていく、特にそれは外家の人々が騒ぎ立ている事があるため、最初から落とし所を決めた上で行ってもいいのかも知れません。それこそが大人の議論のあり方のような気もします。

勝ち負けではなく、言論の盛り上がりと知性の探求として

もちろん、ブログとは政治的な議論をふくめ、どのようなものであっても、よほどの反社会的な思考でない限り、自分の考えを社会に問う事のできる媒体です。

しかし、一つの物事について、複数の考え方があり得ます。思想的に右か左かによって一つの事実でも全く捉え方が異なります。それらの「建設的な」議論の試みは、未だweb上で大きな潮流とはなっていません。

ただ、実際の政治においては左派右派の意見者が混沌たる状況で、政治家とは、それらの調整役であり、彼ら、彼女らが右寄り左寄りかであるかに過ぎないのですが。

左右どちらかの意見にゴリゴリに固まるのではなく、互いの意見を知り、そして、その問題点をお互いに議論するあり方は、より発展的な議論として大いにあり得るのではないでしょうか。

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