失われた20年から得るべき最大の事実、何もしなかった結果としての現在

By | 2017年8月21日
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問題の放置の到達点としての労働力人口不足

数年前はリーマンショックなどによる大不況の時代と言われていましたが、逆に今度は人手不足などと言われています。

では、その大不況の時に若者のホームレスなどの問題が取り沙汰され、その問題に対して日本は何かをしたのか、それらの歴史的事実を知り、その上で将来に対する疑問を持つべきではないでしょうか。かつての「失われた20年」とは、その時に、社会が何を行ったかの事実を知るためには極めて示唆に富んだ期間であると考えることができます。

それは結論から言ってしまうと、ほとんど何もしませんでした。

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社会の持続のためにいくらでも手を打つことは可能であった

本来であれば労働基準法の厳格な適用などによって、いくらでも雇用を増やす事ができ、人材育成を行うための絶好の機会であったはずです。

それを為政者達は見て見ぬふりを行い、NPO法人などが行う若者のホームレスの炊き出しなどを、メディアはまるで「自助努力の美しい姿」であるかのように報道し、プロパガンダとしてお茶を濁したにすぎませなんでした。

つまり、日本社会としては根本的な問題について、なんら着手する事はありませんでした。

そのような状況のなれ果てが、働く者の人口の減少による人手不足です。

政者達は「外国人研修生」などといわれる実質的なタコ部屋労働者の外国人を導入するつもりかも知れませんが、それもうまく行く事はないでしょうなぜならば彼らの母国は日本以上に発展しているのですから。

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衰退を隠せなくなる日本社会

この国は、今後も「何かをするフリ」はしたとしても、根本的対策を行う事は絶対にないでしょう。それが、「失われた20年」における、最大の得るべき事実ではないでしょうか。

この日本社会では問題が起こったとしても、それが一般の市民が直面する問題に対して、何ら実効的な解決策を取ろうとしないどころか、その問題を覆い隠し、プロパガンダを垂れ流し、問題の本質をぼかす行動を取る事が透けて見えます。

今後、日本社会は労働力人口の不足、高齢者の増大、少子高齢化社会によって、社会その者が衰退していくでしょう。

その様な中で、自分の生活を、衰退する社会の中でから守るには、自分はどのようにして生き残るか考え方が非常に重要になってくるのではないでしょうか。

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