コンビニでひと目で分かる地方文化のレベル推測方法、もしくは地方の貧しさ

By | 2020年5月4日

地方の文化レベルの判別方法

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私は色々と出張で地方に行くことが多いのですが、コンビニでの商品を見てみるとその地方の文化レベルを知ることができます。

結論を先に言ってしまえばそれは、コンビニの雑誌の棚の部分を見ることです。

コンビニの雑誌にどのような本が置かれているか、それによってその地方の文化レベルを一目で推測することができます。

例えば以前私が入った田舎のコンビニ。

・ファッション雑誌
・女性のゴシップ系漫画
・クロスワールドパズルっもしくはナンプレ
・車の雑誌
・漫画
・成人雑誌的な書籍※
・パチンコ・パチスロの雑誌

※成人雑誌的と書くのは、いわゆる成人雑誌は規制されましたが、では無いが、明らかにエロティシズムを主題としたゴシップ誌などが、まだまだコンビニに行くと散見されます。

いわば、脱法エロ雑誌とでも言うべきでしょう。とはいえ、エロティシズムは人間の生きる根本であるので、それをむやみやたらと規制しようとする事自体に私は賛成できませんが。

だいたい、これだけ。

これは、ある工業都市でのことなのですが、実に分かりやすい本棚です。

実際、これらの雑誌は都市部のコンビニにも存在するのですが、その展示割合、雑誌のセレクトなどは確実に都市部と地方部では異なります。あと、ヤンキー雑誌が堂々と並んでいたり。

ある人物の思想の手がかりを知るためには、その人の本棚を見れば良い、などといいますが、まさしくそれが町、という単位で見ることのできる部分です。

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地方の価値観の一例

基本的に田舎の男性の価値観とは、

女、車、博打

が主だったものだったりします。それ以外に娯楽が無いですから。
正確には「無い」のではなく、それ以外のものを求める者は自発的にその地域を去ることが多いです。

その結果、文化レベルが固定化されてしまう。その結果としてチャンスを求める若者は都市なり、地方都市になりに出ていってしまって、結局まともな人材が残らない。

ある意味、その地方を「出るに出れなかった」人たちが濃縮されているのが地方と言えます。

それは非常に極論としての意見かもしれませんが少なくとも私自体がそのように自分の住んでいた育った町に嫌気がさしてその土地を離れたもの他になりませんから

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2019年の夏からコンビニからアダルト雑誌が消えるとの話が出ていますが、果たしていったいどこまで徹底されるのか甚だ疑問ですが。

セブンイレブンのフランチャイズ経営によってその店長が青色吐息になっているという状況を見るまでもなく、果たしてアダルト雑誌を排除して経営は成り立つのか?という話題も出てくるでしょう。その結果としての「脱法的」なアダルト雑誌もどきなのかもしれません。

あと女性雑誌などにおいてもセックス特集などが存在し、しかもそれはアマゾンなどではバックナンバーにプレミアムがついて販売されているというような状況ですが…。

地方のコンビニでの地元文化

おまけ的に言うならば、その店の店員の何気ない雑談会話は、地方独自の方言が出ていて、なかなか聞いていて面白いです。それはその地区の固有の文化といえます。

コンビニというのは、例えばセブンイレブンであるとかローソンであるとか、そういった大資本の力でもって全国津々浦に、同じ均一化された文化で染め上げようとしているのですが、それでもなお、地方文化というものが意外とそういった本棚や店員の会話、と言った部分から見ることができます。

ぜひ地方に行ったときにはコンビニで、本棚と店員の会話に注目してみてください。

地方文化の特徴

実際に地方に行くほど、パチンコ屋が巨大な箱物として建っている、というのが、日本の現実です。

あと、地方はやたらと時代錯誤なドキュン改造車が多い。都市部ではとても考えられないようなセンスを見る機会が多いです。

ヤンキー文化もしくは、ヤクザ的文化というべきでしょうか、そういった日本の負の部分として、それを為政者が都市部では覆い隠そうとしたものが、地方に行くと露骨に見ることができるのです。

私の住んでいる街も、いわゆる地方都市といった感じの所なのですが、それでもなお、地方に行く事があると、非常に文化的格差というものを感じざるを得ません

あくまでも私個人の主観によりますが、県庁所在地と、そうでないところの市や町では文化で10年ぐらいのレベルの差があるのではないか、と考えてしまいます。

また言うまでもなく、それらの地域では能力のある者、意欲のある者は自らそのような土地を離れてしまい、ますます文化の格差は広がっていくのですが。

なぜ地方では文化レベルが向上しないのか

結局、インターネットが発達して、世界中どこででも同じ情報を手に入れることができる時代になったとしても、それを使うのは人間であって、それを使うモチベーション、もしくは「その情報が必要である」との認識そのものを行うこと自体ができない、というのが地方の現実なのではないでしょうか。

ウェブにどれだけ素晴らしい知恵と先人の経験が溢れていようが、それを取捨選択するのは本人なのですから。それをできる、できない、の結果が、ある意味では地方の文化なのでしょう。

無論、地方にも文化人はいるでしょうが、全体の傾向として。

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