キリスト教のおせっかい文化を知る為最適の一冊 書評 実った椰子

By | 2017年1月16日
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著者の意図するところと非キリスト者の意図する所

この本は、この本が本来意図する意味とは全く違った意味でお勧めであったりします。

内容としては日本人のキリスト者の夫婦が未開パプアニューギニアの地に行き、そこの原住民にキリスト教の良さを教えてまわる、というのが粗筋なのですが、キリスト者の意識の根底を非常によく表した一冊のではないでしょうか。

キリスト教系の本と言うと、難しい神話や理論をこねくり回す、というイメージがありますが、この本はそれらの理論的な部分はほとんど泣く、それらの思想的体系に基づいた現実行動としての布教、を行う夫婦を描いた一冊なのですが、彼らの行動の全てが聖書の信仰に基づいて行動をしているのです。

考えるベースに入っているとキリスト教が存在する、典型的キリスト者を見る事ができます。

現地の人々は「不幸」なのか?

確かに文明の発達した日本人からすれば、当地パプアニューギニアの人々の暮らしは、それはそれは改善すべき点がある生活であることは確かなのかも知れません。

また、彼らが最初から有す土着的信仰とは、キリスト者から見ると、キリスト教によって「あやまりを正される」べき信仰なのかもしれませんが、それを彼らは善意、進行的使命という考えに基づいて、現地の人々に布教を行うのです。

ただ、それは非キリスト教者から読むと、「それは単なる、おせっかいじゃないんですか?」というような行動が連発されていたりするのです。

そもそも、現地の人々が信じている神々を否定して、「我々の神が正しい」という時点で、かなり独善的そのものなのですが。

キリスト教とアメリカとの関係

この本は「日本人が」パプアニューギニアでの布教をしたと、書いているのですが、キリスト者といえば何が有名と言っても、アメリカなのです。

アメリカもヨーロッパの基本的にはキリスト教の考えに基づいて行動しているのですが、ヨーロッパの場合、フランス革命などの該当国の国民の力による様々な政治的事象によって、宗教と政治については一定程度分離されるべきである、とのコンセンサスが広がっていますが。

しかし、アメリカとは、大統領が就任演説で宣誓をする時に聖書の上に手を置いてそれを行う行動から見られるように、基本的にキリスト教が最優先の考えとして存在しています。

アメリカ資本主義は多くの場合、それはアメリカのキリスト者たちと同義語でしょうし、彼らは自分たちの信ずるものを全世界に広げています。

それは例えばマクドナルドであったりマックのパソコンであったり、もしくはフォードの自動車 であるわけです。

この本を読んでいて、私はこの本の主人公の夫婦に、アメリカ的な行動として見えてしまいまいました。

本人たちは良かれと思って行っている行動が、それは第三者の目から見ると、それが本当に良い行いなのか、ということを考えを強く疑わざるを得ません。

それらの問題提起としてこの1冊は非常におすすめをする事のできる一冊です。

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