新興宗教にだまされないために宗教を知る、宗教を知ることのメリット

By | 2020年5月11日
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必ずしも宗教は悪いことではない

私は宗教そのものが必ずしも悪いというつもりはありません。

現実問題においてヨーロッパやアメリカにおいてはキリスト教が思想のベースとして存在することは確かなことですし、宗教とは人間をの心を安定させるという役割もあります。

また日本人には比較的なじみの薄いイスラム世界におけるイスラム教やコーランを知る事は、我々の文化的思想とは全く異なる文化的バックボーンが存在することをを知ることができます。

ただ、私は宗教については一切ノータッチですが。

間違っていたとしても自分の考えをに基づいて行動し、それに基づいて生きていく、私はそのように考えています。

つまり、宗教の考え方そのものに賛同するのではなく、それを知る事により、自分の人生において、より深みを出すための自分の考え方の一助、または何らかの人生のよりどころになる可能性は否定するものではありません。

宗教とは、たとえそれが形而上学的な、もしくは伝統や民間信仰によって歪曲されたものであるとしても、そこに人々の思いいや歴史がある事も、また確かな事なのですから。

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宗教の根本とズレた宗教

大体において新興宗教とは仏教やキリスト教もしくは神道の考え方を歪曲し、多くの場合、それらの新興宗教の教祖の個人崇拝をさせるというパターンに治ります。

それらの教祖の考えとは、もともとあった、それらの古典的宗教の哲学的側面を全く無視した、いかにして金を集めるかという、もはや俗物そのもの考え方でしかありません。

もし新興宗教について疑問を持って居る人がこのページに辿り着いたのであれば、是非ともそれらの宗教の創始者、つまり仏教であればブッダ、キリストであればキリスト、彼らが一体どのように生きたかを「歴史的事実」として第三者の視点で見てみるべきです。

そこには、信じているものとは全く違うことが書いあるはずです。それは、自分の信じている宗教の客観的な考察に役に立つものではないでしょうか。

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一例して挙げるならば、仏教とは現在の日本では、いわゆる葬式仏教が主流となっていますが、本来の大乗仏教とは、シャカにすがることによって人々が幸せになることができる、という考え方です。

また、より根本的な本来の仏教とは、決してシャカにすがること、やましてや大仏ような仏像をを作る事で幸せになる、というものではなく、自分自身が世俗の生活からの欲望を断ち切ることにより輪廻天昇の輪から外れることを成就するための宗教でした。

もちろん私は現在の日本の大乗仏教そのものを全面的に否定すると言うつもりはありません。

しかし、それらの本来の根本的な部分を知ることにより、より良い思想としての宗教に広がりを持った視野を得ることができ、また、おかしなカルト宗教に騙されないと言自己防衛にもつながるのではないか、と私は考えています。

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宗教は月日により変節する

新興宗教とは少なからぬ場合、教祖が自分の金儲けのために宗教を作るというパターンが存在しますが、しかしそれ以外の宗教、例えば仏教においては真言宗であるなど臨済宗などがありますが、それらも元々あった仏教の精神、もしくは形態と全く異なったものとなっています。

仏教は最初インドで生まれ、それが中国、朝鮮をわたって日本に来るまでに様々に変節してしまっい、それにさらに民間的信仰としての神道が混合し、オリジナルとは全く異なったものになっている、と考えることができます。

それらのオリジナルを知ることにより、宗教をただ妄信的に信じるのではなく、自分の頭で考えるという行為ができるでしょう。

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だまされないために、また、人生を豊かにするために

宗教は正しくそれと付き合えば、人生を豊かにするかもしれません。

しかし、新興宗教などに洗脳されてしまうと、人生を破滅させます。それらの不幸を解決するためにも、たとえ宗教に関心がない人であってもキリスト教、仏教、そして神道については一定程度の知識を持っておくことが、自分の人生を自衛するために役に立つのではないかと私は確信しています。

ある意味では、今の日本の社会は宗教とは個人の思想の自由であるという建前を振りかざすことによって、宗教に対する知識を与えることすらタブーとなり、その結果として、おかしな新興宗教がはびこり人、生をも大破壊しかねないような状況になっている、とも考えることができます。

多くの宗教はその根本においてはは隣人を愛すること、または平和と言葉では無いにしても、静かなる生活と自分の内なる本質を見つめるととを求めている、とわたしは考えています。

それにかかわらず、いつの間にかそれらの考えが間換骨奪胎され、政権を取ることや、自らの欲望や現在の為政者を全面的に肯定するような理論にすり替えられてしまっている、そんな宗教の貧しい現実を直視すれば、今の社会で宗教というものは洗脳のためのツールとしてしか成り立たないのではないか、とさえ私は思ってしまうのです。

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