ろくでなし子氏の作品は日本を代表するアートである理由 日本の闇に光を当てる

By | 2016年11月21日
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ろくでなし子氏は日本を代表するアーティストである

ろくでなし子さんは今結婚して、妊娠されているそうでおめでとうございます。

これは全然、皮肉や逆張りではなく、彼女は日本を代表する作品を創ることのできるアーティストだと確信します。

だいたい何で、全ての人が持っている性器をスキャンして送信しただけで逮捕されてしまうのか、それらの行動自体が全て社会を問いかけるアート作品です。

そもそもアートとはなんぞや、となると、確かに美しいという意味におけるアートというもありますが、それはいわゆるところの「古典芸術」であって、現代社会においてのアート作品とは、社会問題の提起、つまり社会問題を誰の目にも分かりやすく提示し、あぶり出す行為と視覚的表現が結びついた表現分野であると私は考えます。

ろくでなし子裁判という究極の「日本国お墨付きアーティスト」

彼女にとってはもはや裁判そのものが、アート作品としての行為でしょう。

しかも彼女は国外の方と結婚してますので、その裁判報道は全世界に向けて発信されるのです。

日本のアニメ産業は世界的にはクールジャパンと謳っていますが、問題のキャッチーさという意味においては、このろくでなし子氏裁判の方がよほど世界にとっては興味のある面白い作品だと思うのです。

なぜ女性器のデータがそれが問題になってしまうのか、またそれを「不特定多数ではない人物」に送信しただけで逮捕されてしまうのか、それは日本の文化、例えば恥の文化、ポルノ作品におけるモザイクの問題、「性器はワイセツ」、それらの曖昧にされてきた問題を明るい世界に引きずり出してしまったのです。しかも、彼女は悲壮感の欠片もなく喜々として裁判を闘っている、という痛快さ。

結局、逮捕してしまったこと自体が司法当局の負け、です。

逮捕せずに放っておけば「いちアーティスト」であったにもかかわらず、逮捕してしまった事によって、国家自らが「アート行為とは認めない」とする、お墨付きをつけた「国家『非』認定アーティスト」ということになります。

裁判所はいかなる権力の影響にも屈しない、と言われますが、今回ろくでなし子氏が外国の方と結婚していることは、水面下ではかなり大きな影響が出ているのではないでしょうか。

日本の表現における問題を全世界に向けて発信する、そしてそこで有罪になる、つまり、日本社会として、ろくでなし子を「わいせつ」として罰するという意思証明をする事、それは確かに一部の役人の面子を保つには良いことなのかもしれませんが、「女性器がタブー視され、それだけで逮捕されてしまう」という日本の文化レベルを全世界に向けて発信することになってしまいます。

すなわち、有罪確定の場合は、日本の表現の法的な許容範囲の幅の狭さ、非寛容さを全世界に喧伝することになりますし、また、逆に彼女が無罪となれば、日本の司法当局の不条理さを全世界に知らしめることになります。

どちらにせよ、これは為政者側としては非常に取扱の難しい問題でしょう。特に、本人が裁判を楽しんでいる、ということが一番為政者側にとっては恐ろしいことかも知れません。彼女にとっては裁判自体がアート作品でしょうから。

判決に至る「政治的判断」は我々が絶対に目にすることのない、また取材の届かない場所で、必死にどのような結末にするかを考えているのでしょう。

どう転んでも為政者側が恥をかく、という非常に面白い構図になっているように見えてなりません。

一人の女性のアートとしての行為が国家と為政者を世界的に恥さらしにする、これこそ日本を代表するアーティストと呼ぶに相応しい行為でしょう。真のアートとは、お上品な、「文化の香りのする」、そんな狭い行為に限定された世界ではありません。

いわゆるところの「正しい」芸術家たち

個人的には、「芸術家」と称する者たちの内、9割がウサン臭と思っていまします。権力者に擦り寄って、何々会の展覧会に入選させてもらうなどは日常的に行われているのでしょうけれど、お前たちはそれで悲しくならないの?と、本気で「アーティスト」に聞いてみたい、とすら思います。

そういえば、日展の篆刻部門で順繰りでの入賞が行われていたとの報道があったのは非常に記憶に新しいことですが、結局、最高レベルの展覧会ですら、そのような「いかがわしい」行為が横行していることに他なりません。

偉い何々先生の弟子になって、何々先生の作品を「勉強するため」に買わせていただく。それらの行為により「先生」はカネに困らない、と。それを世間は賄賂と言うのです。

ハイパーメディアクリエイターだかなんだか知りませんが、エレクトリックアートだの、なんだのと権力者にすり寄って某芸術大学の教授になってご満悦の自称アーティストとか、本当に人間として恥ずべき者たちばかりです。

ネットのろくでなし子バッシングがさらけ出す日本のお寒い表現事情

ろくでなし子氏の問題で、ネット界隈のリテラシーの少なさの証左として、ろくでなし子氏叩きがあるのですが、いやもう、ホントにこの国は大丈夫なのか?と思います。

正直なところ、結局ろくでなし子氏を叩くとは、

「私は表現の自由を一切認めません」

と言ってると等しいですから。

為政者の考えたモラルや制限についての問題を全く自分の頭で考えようとしない、反射神経的に、「国家の認定するわいせつ」を受け入れてしまう、それは知的に非常に「可哀想な人」とすら思えてしまいます。

為政者はクールジャパンと自称していますが、ろくでなし子氏の裁判を見れば、それは、クールジャパンでなくて「文化のお寒いニッポン」として再定義すべきではないのか?とすら思ってしまいます。

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