日本の没落と島国根性 考える事を放棄する国民と、衰退する国家について

By | 2019年7月22日

なぜ日本は没落しているのか

なぜ日本が衰退しているのか、それは、何一つ、社会を好転させるための、まともな政策が出来ていないから、としか書きようがありません。

では、なぜ、まともな政策を行うことができないのか? その理由として、今まで戦後の日本では本格的な政権交代がなかったこと、また、これまでに社会的安定が「目に見える破綻」は起きること無く、一定程度は安定的に機能していた事が原因として考えうるでしょう。

また、日本はこれまで他国から侵略されたことはありませんし、民衆が為政者に要求を行い、社会体制が変化したこともありません。歴史的に見ても明治維新はアメリカの要求に従ったことであり、それは民衆から求められた事ではありません。

また、これと同じように戦後の民主化についても、これもアメリカの意向に従ったのみであって、これも民衆が要求したものではありません。

それらを大きな視点で考えると、この国は、歴史上、何一つ自発的に民の要求で変わろうとした事は無い、という事実が見えます。

つまり、自分たちで何一つ考えてこなかった国としての日本、とも書けるでしょう。

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アメリカべったりの為政者たち

現在のアジア近隣国の台頭について、自衛手段の拡大については一定程度は必要性を認めますが、冷静に考えると、桁違いの軍事力と経済力とで実力対立になった場合、で一体どうやって勝つというのでしょう。

また、国際紛争が生じた際に、為政者たちはアメリカが本当に守ってくれるとでも思っているのでしょうか?

まさにアメリカの子分気取りの考えが染み込んだ、「見たくない事は見ない」短絡的な考えと言わざるを得ません。

現実的に考えれば、アジア諸国との友好関係を保つために、政治的、外交的な配慮を行い、かつ国際社会に存在感を示し、「いかなる国をも敵につけない」したたかな外交を行なうことが、もっとも現実的な、今行いうる対応ではないでしょうか。

そのためには、アジアの近隣諸国との関係の互恵的関係の構築、および国際的な存在感の演出などが必要であると考えます。

それらの今後の生き残りの為の日本の行動について、私は日本が他国に対する無条件の謝罪とイエスマンとしての外交を求めているのではありません。

そこに求められるのは、したたかな、そして知力と叡智による国際的関係の構築が求められるものです。しかし、現在の日本にはそれらの能力が決定的に不足している事実は確かです。

自分たちの国の方針について決定、もしくは考えられない最大の原因とは、先ほど述べたようにアメリカの庇護の下にあったため、これまでの歴史の中で何も考えずに政治を進めてきた、政治家及び国民の行動の当然の結果とも言えるでしょう。

私はこのブログでも散々書いていますが、いわゆるところの「保守」とは、他国からの攻撃の可能性を声高に叫ぶことによって現状の社会的問題から目を逸らせようとする、プロパガンダの手法に過ぎないものとしか見えません。

それは一見「考えている」ように見せかけるための、為政者にとって都合の良い方向に国民を扇動させるための言論でしかありません。

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どうしようもない日本

そのようなことを総合的に考えると、もう日本は現状どうしようもない状態に陥っていると思わざるを得ません。

まともな政治ではなく、またそれに今すぐ対抗しうる、まともな野党勢力も存在しない、まさに政治的空白の真っ只中にあると言えるでしょう。

無論、「れいわ新選組」などの、「利権をもたない、空気を読まない」政党が出現したことは希望的な萌芽とは言えますが。

この国が島国根性として江戸時代から染み込んできた、何ら自分で変わろうとすることのない、もしくは考えようとすることもない、「お上」から言われたことを嬉々として行動する、そのような国民性あり方が、現在の日本の没落の原因です。

確かにその従順な国民性は「製造業」として戦後の一時期は花開き、反映を残しました。しかし、現在では、それら製造業のお株はすべて諸外国に奪われ、その次の産業を何一つ作ることは出来ていません。

ネット上には他国の罵倒と、自国の賛美を行う記事で満ち溢れていますが、今の社会状況を直視した場合、行うべきは、自国の深刻な状況の問題提起と、それに関する建設的な議論である筈にも関わらず、それを行えないのは、社会の崩壊に加担しているとさえ言える行動でしょう。

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日本の今後の社会の対応方法

一旦、この国は落ちるとこまで落ちた方がいいのではないかと思います。つまり、私には何一つ、現時点では建設的議論はありません。

その上で、この国の人々が「自分で考えること」を始めた時、もしくは「考えざるを得なくなった時」、ようやく、独立した近代的国家としてのスタートラインに着くことが可能となるのではないでしょうか。

いまは図体は大きくとも、精神は子どものままの国家です。いざとなれば誰かが守ってくれる、そして、島国根性をむき出しにし、排他的、そして「お上」の顔色をうかがう。それは子供じみた、独り立ちできていない思考そのものです。

私は○○主義などの、特定の思想に依拠するつもりは全くありません。サヨク、ウヨク?それはあまりにも単純なレッテル貼りと振り分けです。それらは現時点では「偽りの対立」を装うことによる「ものを考えさせないため」の手段にすら見えてしまいます。

それでも私はブログで現在の社会問題を論じることによって、少しでも、マシな方向に行くのではないかと考えて、このブログを書いているのですが。

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