廃墟とは日本の未来の姿である 廃墟を今、見ておくべき理由

By | 2016年12月9日
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廃墟は心地よい光景でもある

Web界隈で廃墟のホームページや、廃墟巡り方が流行っているようです。

軍艦島は有名な場所ですし、意外なところは、熱海なども、もう部分的には廃墟化しつつある、と言われています。

私は廃墟の風景は決して嫌いではありません。

人間のいない光景について心休まるものがありますし、また考えさせられることも多々あります。人のいるところよりは、人のいない光景のほうが落ち着きます。そのような感覚が、廃墟を好む人に共通する原点なのかもしれません。

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廃墟とは何か

廃墟とはもともと人が住んでいた場所が、そこが誰もいなくなり、ゴーストタウン化した場所ですが、廃墟光景を現在「だけ」見ていると、無人の光景ですが、その建物、街並みには、かつてそこに人が住み、人々の生活があり、そして、そこで育ち、もしくはそこで働き、そこで人生の時間を過ごした人がいる光景です。

つまり、人間が住まなくなった町、という事です。

廃墟は現時点では山の中などの交通が不便な場所を主として存在しますが、今後、廃墟は全国各地に広がってゆくものと考えられます。

それは、今の日本が人口減少であり、現時点でも少子高齢化、と言われている中で、それらの改善の兆しが全く見えていない状況では、廃墟は広がってゆくことは十二分に考えられても、それが狭まることは、まず絶対にないでしょう。

廃墟とは日本の未来図である。

現在存在する廃墟は、それらの人々の生活の痕跡として見ることができます。

私は廃墟の光景について、廃墟光景とは日本の未来そのものだと考えています。

今、少子高齢化が進み、そして限界集落などが維持できない状態になっていています。無論、それは自然に進むものではなく、政治の失敗、社会の失敗として、本来は全く好ましくない未来なのですが。

現在でも山の中に人が住まなくなった集落、 廃村が多数あります。

このような場所についてはアプローチが異常に厳しいためあまり知られていませんがしかし、それが近い未来日本の至る所に偏在する状況が普通となるでしょう。例えば、自分の住んでいる町の中に、普通に廃墟が点在する、という光景は当たり前のものになるかもしれません。

今マスコミはマイルドヤンキーであるとか、地域活性などと言っていますが、結局それらは現在の少子高齢化において、唯一残った消費行動の部分にだけクローズアップして伝えているようなものです。マスコミはこの手の「局所的事象」がさもいたるところに存在するかのように喧伝し、為政者のご機嫌取りをしているのでしょう。実に浅ましい行為です。

むしろ、その真意は地域活性化という名において現在の縮小する経済で、いかにして地方交付金を削るか、そのたに「地域が活性化している」というプロパガンダを垂れ流すことによる、地方交付金削減のためのアリバイ作りとしてのまず第一段階ではなかろうか、と私は考えています。

いずれ、政令指定都市以外の小規模都市について、住宅街などはその多くがゴーストタウンや廃墟と化すでしょう。

つまり、現在存在する廃墟、それは10年後もしくは20年後にはそのような風景が多数日本中に生まれるまれることになるでしょう。

今はまだ、そのような廃墟問題が顕著な問題として現れていませんが、そのような状況であるからこそ、廃墟に行くことによって、今後の日本の未来を自分の目の前に、まるでタイムマシンに乗って未来を見ることができる、とも考えれば考えることができるのです。

目の前に広がる「未来の日本」としての廃墟光景を見て、一体何を思うか、そして何をすべきかを考えると、人生の長期スパンでの考え方に大きなプラスとなるのではないでしょうか。

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実際に廃墟に行き、そしてそこで考える行為のメリット

人間とは頭ではよくわかっていても、それを実際に目の前の光景、もしくは環境として自分を置くと、全然感覚が違ったりします。

写真と実際に自分で足を運んで見る光景、それは同じ光景であったとしても、全く別のものとして見える可能性が高いです。写真を見る時、人間は、その写真が事実であっても、まるでフィクションであるかのような感覚に自然とフィルタリングをしながら見ますが、自分の目の前に広がる光景は、それは厳然たる事実です。

廃墟とは、今からそう遠くない未来の日本の姿です。そんな、荒廃した光景が、今後、日本では増えてゆくのです。

そこで何を考えるか、それは実際に廃墟に行った人のみに与えられる考えるチャンスではないでしょうか。それは、人生において、自分の人生を考える上で、大きな希望とも言えることかもしれません。

それでも日本は廃墟化する

本当は、今すぐにでも少子化対策を始め、そのために少子化対策の社会的バックアップとして、サービス残業の厳罰化などによる雇用状況の改善などの根本的対策することが必要ですが、それを全くしていない日本にまともな未来など無いでしょう。

余談ですが、為政者たちは少子高齢化し、労働力人口が少なくなった日本に外国人労働者を投入すればいい、と考えているのでしょうが、おそらく、そのような未来の日本は国際社会の中でもジリ貧で、外国の労働者は決して望んでゆくような国ではない社会となっている可能性が大きいでしょう。

未来の日本、それはあらゆる場所に存在する「廃墟」の集合体です。

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