現在の社会の被害者としてのブロガー、憐憫の視点から見る検索汚染

By | 2017年11月15日
society-victim-blogger

まずは結論として

「ブログで飯を食う」などの幻想は、確かに不況下の日本で、雇用のない状態であればそのような考えも成り立たちえた、のかも知れませんが、これだけ人材不足が深刻化している昨今において、「ブログで飯を食う」などと称する、その発想自体が、自分が社会で必要とされていない事を吐露しているに過ぎません。

つまり、会社員になりたくともなれない者がブログで「儲けた」と言っている、と疑われてもやむを得ない状況であるでしょう。

また、実名顔出しで社会に対し挑発的なブログを書いている者は、実社会、つまり、会社員に戻りたくても戻れない状況も生じているのではないでしょうか。また、それがゆえに社会に対するゆがんだ攻撃性者を持ち、会社員を攻撃、罵倒するなどの記事を作り、社会に対する挑発的な言論を行っているのかも知れません。

広告

本来あるべき姿にブログは戻るべきだ

私はブログそのものを否定するつもりはありません。なぜならばブログは誰もが匿名で自分の言いたい事を社会に問いかける事のできるメディアです。しかし、それをブロガー達は小銭稼ぎのツールとして利用し、検索結果の汚染を行いました。

ブロガー達は、自分がいかに社会的に自由であるか、そして、今の社会が、いかに自分の働く環境としては不適切であるか事を得々と述べます。しかし、その結果として行なっているのはアフィリエイトという、「鵜飼のウ」の行為に過ぎません。自由な生活と称しながら、それは実質上はアフィリエイト提供先の精神的隷従にすぎません。

また、あるブロガーは仮想通貨や投機的な取引など、アフィリエイトの収入が良いと思われる商品にブログのテーマそのものを切り替えました。

よほどお金に困窮しているのでしょう。そのような投機的なテーマを扱う記事を継続的に書いた時点で、そのブログに対する信頼性はゼロになります。また、その信頼性のゼロは永遠にプラスに戻る事はないでしょう。最も、そのブログについて私は最初から何も信用も信頼もしていませんが。

社会的弱者であることを認識できないブロガー

そのような、社会的弱者であるからこそ、社会的な問題を追及するブログを書き、この社会のおかしさを訴えていくべき存在がブロガーの本来の在り方であると私は考えるのですが、彼らは永遠に強がりを言い続けるのでしょう。自分のプライドのために。

ある意味ではブロガーの存在自体が、「鵜飼のウ」の存在であるにも関わら、ずまるで自分が発言者気取りで、言論を行っている時点で、現在の社会の最たる被害者であるのかも知れません。無論、私は彼らに1mmとも同情をするつもりなどありませんが。

広告(アフィリエイトタイプ)

    ブログランキング・にほんブログ村へ    


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)