「もったいない」は呪いの言葉、モノが溢れる時代での人生を楽しむための物減らし

By | 2022年2月25日

私は別に、このブログで自分が何歳か、どのような生活であるかを一切書くつもりはありませんが、我々の世代に共通しているのは「もったいない事をしていると、もったいないお化けが出るぞ」、というような事を子供の頃にCMで刷り込まれたようなような気がします。

浪費は敵である、そして、もったいないは正義である、そんな考えが根底にあるような気がします。

とは言え、このもったいない、なる言葉は少し前に、もったいない、なる言葉は日本にしかない、とやらで、もてはやされましたが、これってゴミ屋敷を作るための呪いの言葉です。

実は私の通勤範囲内にもゴミ屋敷が存在し、それを見るたびに自分の老後ああなってしまうのではないか、と、ぞっとする思いをしながら通勤をしています。

実際、このゴミ屋敷を自分の目で見ると、異様な存在感もしくは、自分とは違った生き物が目の前に存在するような脅威や恐怖にも似た感覚を受けるものです。
近所の住民はとてつもなく迷惑をしているのでしょうけれど。

結局、モノを貯めてしまう事とは、脳の認知機能の低下によって本来、必要となるべきモノと不要な物の判断ができなくなってしまうために、あのようなゴミ屋敷が生じてしまうのではないかと私は考えます。

とは言え、その脳機能の障害というものを肯定的に悪化させてしまうのが、「もったいない」という言葉ではないでしょうか。ものを捨てるか捨てないかの判断をする際に、「もったいない」というフレーズをつぶやけば、捨てる事が悪になってしまうのですから。

エコだなんだと言います。が、そんなものは単なる勝ち組、子持ちたちの思想ゴッコに過ぎない、とさえ思ってしまいます。

「地球にやさしく」する前に、まず就職氷河期世代を救済しろ!

というのが私の考え方です。

エコロジーとは別に、自らの思い出があるがために捨てられない、というものがありますそのようなモノは写真を撮って、その写真を2二重にバックアップする事によって、少しでも罪悪感を減らして捨てるのが現実的な方法でしょうか。

本当に、ものが少ない部屋に暮らすという事は精神的に良い行為です。すっきりして心も軽やかになる気がします。

あと、もったいない、という考えは、この国の無駄な労働や非生産的な労働とも繋がっているような気もします。

資材がもったいないから、材料がもったいないから、とそんな事を現場で言っている事はありませんか?

資材や材料がもったいないのは理解できます。が、では、それを使う事で働く者の賃金と本当に見合った対価が出るのか?という話です。

とは言え、そのように、もったいない、もったいない、と吐く会社に限って、サービス残業させているブラック企業である事が多いような気がしてなりませんが。

何せ、この国では働くものをサービス残業させさせたとしても、その時効はたった数年で、そして、どんなに多額の金額をサービス残業で企業が違法に儲けたとしても経営者が逮捕される事は基本的には全くありえないのですから。

そのような状態であればサービス残業させない方がおかしいです、この国は。

ここでも、もったいない、なる言葉は呪いの言葉に過ぎません。

自分が楽しい、美しい人生を送りたいと願う人は、もったいない禁止令を自分に出してみるのもいいかも知れません。

少なくとも私はそうしています。

頭の中に「もったいない」なる言葉が出てきたら、ふざけるな!、と、それを怒りで上書きするのです。

もったいない、なる悪習は、もう昭和で終わりにしませんか?

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