相撲をスポーツとして行う事自体が間違いである、神事とショービジネス

By | 2018年2月2日
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相撲はスポーツであるべきではない

相撲が始まりましたが、白鵬と貴乃花親方との角界での体質はなんら改善されているようには見えません。

私はそもそも相撲をスポーツと標榜する事自体が間違いないのではないかと思います。

相撲とは日本の国技、伝統芸能であって、それをスポーツの枠組みに入れてしまうが故に、八百長である、などと言われてしまうのではないでしょうか。

そもそも、関取達の体重は250キロと言われます。もし、この体格で年間に4場所、本気で「真剣勝負」として取り組めば、かなり体力的にハードである事は簡単に理解できる事です。

当然ながら日本相撲協会は八百長は絶対にやっていない、と主張するのでしょう。

私も日本相撲協会が八百長やっているのではない、との意思を尊重します。

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相撲をショービジネスとすべきだ

とはいえ、少なくとも今後相撲者をスポーツではなく、文化もしくは、ショービジネスとしての方向転換をするべきであると考えます。

今、日本は観光立国になろうとしていますが、そのような中で日本の国技と言われる相撲とは、あくまでも日本の様式美を表すショーとして存在すれば良いのではないでしょうか。

つまり、最初からあくまでも伝統文化としてのショーとしての相撲、と高らかに宣言すべきでしょう。

そうする事によって、人気を取れるイケメンの力士であったりまた、外国人にもわかりやすい外国人力士なども登場させれば良いのではないでしょうか。また、かつてあったプロレスのように、悪役「力士」などが存在しても楽しいかも知れません。いきなりパイプ椅子や栓抜きを持って乱入してくる力士などいたら楽し過ぎます。

そもそも、日本の伝統文化自体が、白黒をつけたがらない、グレー、灰色な曖昧な、決着を好む国民性です。

そんな文化において、勝負で勝負で勝ち負けをつけようとする事自体が無理なのではないでしょうか。また、相撲を国際的なスポーツの枠組みとして日本の文化を考える事自体が困難なのではないかと思います。

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日本文化の伝統の上に存在する相撲として

この国は談合や、忖度、上の者にの顔色を伺う、そのような行動によって成り立っています。その特徴的事例としてのショービジネスとしての国技としての相撲を行えば良いと考えます。

そもそも相撲とは神事として行われていたものであり、スポーツ考え方とは全く異なる存在であったと私は考えています。

もし相撲の神が存在するのであれば、八百長の疑惑が拭いきれない現状よりも、エンターテイメント、すなわち、「祭りごと」として行うほうが、よほどご利益をいただけそうでしょう。

とはいえ、それらを「無言の暗黙の了解」として現在の相撲は行い、それに反発する貴乃花親方が存在している状態なのかも知れませんが。

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