教員の都合のいい側面だけを論じてはならない
まずは結論から書きます。
これは教員だけの問題ではないのですが、公務員の中には正規雇用と非正規雇用の落差があまりにも大きすぎます。
そのような中で、血税を使って生きている公務員としての教員が高額の給料を得て、その給料を維持するためにサービス残業などの長時間労働を押し付けられている、その問題を解消するために、さらに非正規雇用の者達を雇う。
それ自体が問題の解決方法として、極めて不自然な方法なのではないか、と私は思います。
つまり、公務員は法に定められた「労働者」ではないのですから、正規教員の減給を行い、非正規雇用の教員等を正規雇用として雇えば良いのです。
また、特に現実社会での働き方を経験してない教員が多数存在する事が、現在の学校でのおかしな振る舞いを行う教員達を生み出しているのではないでしょうか。
訳のわからない校則、訳のわからない行事、訳のわからないPTA、それらを生み出しているのは、多くの場合、「社会人経験の全く無い、もしくは極めて乏しい」教員たちでしょう。
また、その様な意味では、民間の常識を導入する意味でも、任期をを5年区切りなどの、任期制にすべきではないでしょうか?
まともに社会経験のない教員に教えられ、まともに社会人経験のない教員たちの思う「良い子」のイメージを擦り込まれる事ほど、生徒達にとって不幸な出来事はありません。
それらの教員等の雇用の流動性の問題から目をそらし、彼らに何百万もの給料は与え続けられています。
そもそも、現在の教員たちの常識を疑うべきだ
まともに社会に出た事のない教員達が、自らの信ずる「社会で通用するか甚だ不明」な正義を振り回し、年間に何百万円もの賃金を得る。
その一方で、同じような仕事をしていながら数分の一の給料しか払われない不安定な身分の非正規の教員が働いている。
これぞ、現代の矛盾の構図そのものではないでしょうか。
それらを生徒たちは気づき、観察し、この社会の本質を学ぶべきです。決して学ぶべきは保身に汲々とする教員たちのお題目ではありません。
これは教員達のみに言える事ではないのですが、公務員が現代の特権階級化しようとしている社会的状況にあります。
それは二世議員、三世議員が政治の世界で産出されるように、同じく公務員等、特にそれは地方の公務員について二世職員、三世職員といった者が次々と生み出されている状況があります。
その問題の原因とし、経済的な格差、また、恣意的な採用などが存在する事も確かでしょう。
しかし、それはこの国が大きな共通問題として抱えている、「豊かな者はさらに豊かに、貧しき者は底抜けの貧しさのどん底に叩き落される」そんな社会を、公務員、つまり、この国の将来を作る生徒を教えるべき役割を持つ教員達が自らが行っているのではないでしょうか。
現在の教育環境の真の学習方法とは
とはいえ、それらの教員やPTAといった、「生の社会問題」。それは、今の日本の社会の問題の縮図とも言えるような問題が目の前に広がっている事は、視点を変えれば生徒達は社会に出る前から、醜い社会の縮図を観察する事ができる状況にある事も確かです。
親が我が子に、それらの矛盾点を教え込む事ができれば、この矛盾に満ち満ちた社会の極めて身近なサンプルとして、生徒達に大きな気づきを与える事にできるかも知れません。
それらの問題に気付かせる事は保護者の役割であり、学校とは、醜い社会で、したたかに生き抜くための練習場と考えれば、それらの学生時代の時間は決して無駄なものではないかも知れません。
そもそも子供の教育を、これだけ無責任な社会に丸投げする考え方自体が極めて危険なのでしょう。
それらへのサイレントマジョリティ的な者の(物言わぬ多数の者たち)対策として、子供を公立には通わせず、私立に通わせる。そして、塾通いをさせる、そして、いわゆる医学部を頂点とした良い学校に行かせる行動が有るのでしょう。
それらの行動は、新自由主義的な、おかしな方向に世の中が流れているように見えてなりません。
本来、これだけ醜い教育行政なのですから、それの本質を観察する行為は、今のおかしな社会でも生き抜くための知恵と行動が身につくのではないか、とすら私は考えてしまいます。
公務員の存在理由とは、いかにして自分のミスを犯さずに過ごすか、になります。それは教員という枠に当てはめると、いかにして自分の担当した生徒たちに問題行動を起こさせず、いかに無難に自分の教え子達を1年間もしくは、3年間過ごさせるか、に尽きるでしょう。
それらが現在の教育行政のおかしいな状態につながっているのです。
それはいじめの隠蔽しかり、体罰の隠蔽しかりです。本来、それらは犯罪行為として取り締まられるべき行為です。
なぜ、学校空間の中で違法行為の状態が隠蔽されるのか? 本来、子供達に若い社会の一員として自覚を担わせるのであればこそ、学校への警察の介入は当然です。
実のところ教員達は、自称、教育者などと言いながら、保身に汲々とした、公務員的な、「お上」の顔色を伺うものが多数と思えてなりません。
それらの事実を、自分の子供が一定の年齢に達した場合に認識させる事が、社会に対する現実的な対応策として一番良いのではないでしょうか。
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