テレビという、「大きな物語」を作らざるをえない衰退する悲しいメディア

By | 2017年10月4日

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言うまでもなく私はテレビを一切テレビを見ませんが、結局のところテレビとは、為政者にとって都合のいい議論を垂れ流すためのメディアであるとしか考えることができません。

そもそも論でテレビは公平中立な報道はできない

テレビとはNHKは国民から徴収した受信料を使って報道しますが、しかしNHKは国から助成金を受け取ることによって、忖度の報道を行い為政者にとって都合のいい議論を垂れ流します。

その一方で民法はスポンサーから商品やサービスの宣伝対価として、その番組を作成しています。特に最近では民放においてはテレビという宣伝手法自体が、インターネットが出現したことによって、その影響力が低下したことにより、テレビ局がスポンサーに対し、より配慮せねばならない状態となっているのでしょう。

その結果として、テレビには「健康」食品のコマーシャルが満ち溢れています。

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プロパガンダマシーンと成り果てたテレビ

先のの森友学園問題と加計学園問題でテレビは為政者にとって都合のいい報道しか垂れ流さない事が、ますます明らかになっています。

森友学園における籠池夫妻は逮捕され起訴されたにも関わらず、加計学園では様々な疑惑が有るにもかかわらず、です。

それは矛盾した放送できない事自体が、もはや自分達の限界を、視聴者に限界を露出してることに他ならないのではないでしょうか。

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国、という大きな物語を刷り込むための手段としてのテレビ

つまりテレビというメディアは、放送法の免許制度の管理のもとで、為政者にとって都合の良い情報を垂れ流すメディアであると考えるのが一番自然でしょう。

テレビ時間を費やす程、人生にとって無駄な時間はありません。そんな誰かが考えた娯楽に踊らされる事そのものが、人生における無駄な時間であり、誰かから娯楽の楽しみを与えられずとも、今の社会自体が、衰退における様々な矛盾や問題をはらんでいるのですから、それらの中から、自分で興味のある分野を調べた方が、よほど自分の人生にとっても役に立つでしょうし、また大きな学びともなり得るものです。

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先の大戦において新聞は戦争を賛美した、次はテレビが賛美する

先の大戦において、当時のメディアの新聞とラジオは「勝った、勝った!」、とプロパガンダの役割を果たし、東京の上空をB29が我が物顔で飛行し、その爆弾の下で人々が地獄絵図を味わっているにも関わらず、メディアは為政者の発信するプロパガンダを垂れ流し続けました。

一方それに対し、現在の日本は少子高齢化による社会衰退が明らかなものとなり、何ら経済面や人口増加の好転の兆しが見えないにもかかわらず、いまだ日本に明るい将来があるかの様なプロパガンダを垂れ流します。

その両者は根本的な議論において、一体何が異なっているのでしょうか?

現在の混沌とした社会状況と、先の大戦における敗戦間際の状況を重ね合わせれば、不気味な一致に気づかざるを得ません。

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