検索していて、表示された結果のブログに対して苛立ちを感じる場合が多々ありますが、なぜそのようなことが起こるのか、それについて私なりに考察してみました。
フリー素材の写真を使っていること
タイトルの話題に対してフリー素材を用いる、もうこの時点で信頼性というものが、そのブログから全く感じられません。
つまり、写真を使うことは、自分の記事をデコラティブに表現しているもしくは、 seo 対策として画像を載せている、しかもそれがフリー写真であるという、 記事の内容以前のブログの運営方針の根本の問題として、いやらしさを感じざるを得ません。
別にブログに写真があること自体に私は悪いと思いませんが、写真を載せるのであれば、自分で足を使ってそれを撮影するべきです。
フリー素材の写真を、しかも、あまりタイトルとは関係なく掲載する、というのはそれは書いた者が自らが信頼性を放棄していることと同じです。
この問題は現在のgoogleの検索エンジンが、画像の内容までもは理解ができないため生ずる問題であって、近い将来に検索エンジンが画像の内容が理解できるようになれば、このようなフリー写真素材を使ったブログは「信頼性に乏しい」として淘汰されるのではないかと考えています。
自分の意見がない
キュレートメディアというのでしょうか?
人様の意見を自分の意見であるかのように自慢げに述べる、そんなブログに非常に苛立ちを感じます。
ブログというメディアを発信するのであれば、少なくとも記事の引用はともかくとして、まずは自分の言葉で発信し、自分の意見を述べることは絶対的な条件で必要なのではないでしょうか。
現在の検索エンジンでは、一定程度のそれらのコピー的ンテンツについては淘汰されていますが、しかし、元の記事内容を書き写すのではなく、自分の言葉に書き換えた場合、人間が見れば明らかにパクリであるとわかっても、それは検索エンジンからはパクリコンテンツとしては認められない、という部分があるのです。
明らかにアクセスねらいとして作っているブログ
そういったブログを見ていると、一体何が言いたいんでしょう?と問いかけたくなります。
例えば過去記事を見ていると、脈絡のない記事が並んでいる、そして、その記事一つ一つがやたらと長文である、この時点で本当にこんなブログを開いてしまったこと自体が後悔するような状態です。
確かに、情報コンテンツを作成することによって対価を得ようとする事、それ自体については私は否定するものではありませんが、しかしあまりにも現在の検索エンジンのバグ的な動作に対して、あからさまにそれを利用しようとしている者達がいる、しかもそんなコンテンツが検索上位に並ぶ、つまりそれを google の検索エンジンは排除できていないという事実について非常に苛立ちを感じます。
私はこのブログを、私の意見としてしか書きません。もちろん、他のブログを参考にすることはありますが、そうであったとしても、ここに書いている内容は全て私が自分で考え自分の言葉で述べているブログです。
近い将来的には検索エンジンの精度及び人間的なコンテンツ考察能力が向上、上記のような苛立ちを覚えるブログは減ってゆくことは明白な事実で、いずれウェブの検索結果に大きな異変が生ずる可能性が高いと思われますが、あくまでも現在の問題として考察してみました。
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