
現在の震災ボランティアは必ずしも肯定される行為ではない
ボランティアをする人の心がけは素晴らしいと思います。それは認めます。
しかし、ボランティアって、被災者の雇用を奪うことになっていませんか?
本来、それは地元住民が復旧のために自らで行うべき作業ではありませんか?
確かに人的資源の不足、ライフラインの寸断などの問題はあることは認めますが、本来、人的リソースは金銭として考えられるべきであり、それはある意味では雇用と等しいとも考えることができます。
そうであるならば、復興の人的リソースの部分に、企業がスポンサードとしてボランティア、もしくは被災地での緊急的な雇用対策として行うべきではないのでしょうか?
危機の際の財界の対応としての雇用ボランティア
例えば、 現在経団連1,329社が加盟していますが、これらの企業から「復興資金」として強制的に基金を徴収し、それを元に被災者を雇い、復旧作業をすべきが本来のありかたではないのでしょうか?
経団連は政治屋にカネ渡して自分たちに都合のいい法律作ってるだけの団体か?
そのためには経団連のウェブでの監視運動、それに賛同しない企業の吊し上げ、不買運動も当然あってしかるべきです。それこそが「相互監視ツール」としてのSNSの正当な使い方でしょうに。
無論、それらの緊急的な雇用創出に賛同する企業に対しては作業着への企業名の印刷など、相応の見返りは与えてもいいでしょうし、そうした「まともな」対応をした企業は当然、事実については賞賛されるべきです。
公務員の給与を削ってでも雇用を創出せよ
また、「公務」員もその名の通り、彼らの給与を削ってでも、その予算を雇用としての復興対策に向けるべきでしょう。
被災者は悲惨な毎日ですが、自分たちの給料は絶対保守ですか?コームイン様? コームイン様は特権階級気取りですね。
ボランティアというお涙頂戴物語に覆い隠される問題の根本
ボランティアという、美名の名の元、「タダ働き」を美化し、「お涙頂戴物語」を作ろうとしていませんか?それによって、最も根本にある問題を覆い隠そうとしていませんか?
ボランティアは本来復興に向けて被災地の住民に与えるべき生きる活力、もっと具体的に言うと金銭的なものを奪っているように見えてなりません。それはお涙頂戴の理想像ではなく、被災者が生きる糧を美名のもとに奪い取っている、と感じるのは私だけでしょうか。無論、この国の行政に期待すること自体が間違いであることは十分理解していますが。
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