ウイルス下でも運動会 教員の異常性もしくは公的教育の限界の露呈

By | 2020年9月25日

お役所根性の発露としての教員たち

今私はとある技術系の仕事しているので、公共施設等に行く事もあるのですが、そこで、このウイルスの状況下において、なんちゃら県の教育委員会とやらが、スポーツ大会などを開いている光景と出くわしたのですが、非常識極まりないのではないでしょうか。

そんな光景を見ていて思った感想などを、自分の記録としても残しておこうかと思います。

ちなみに高校野球が中止になったにもかかわらず、こうやって教育委員会が組織するスポーツ大会が堂々と行われている。

まさに足並みが揃わない教育界、そして毎年行ってきたことを止めるに止められない、前例踏襲主義、お役人根性丸出しですね。

おそらく風甲子園はテレビ放映されるので非難轟々になることを恐れた主催者の保身感情による中止でしょうけれど、その一方では例年続いている行事は、止めるに止められない、公務員教員のヒラメ根性が丸出しとなった状態と言えるのではないでしょうか。

生徒や保護者の安全よりも自分たちのメンツが最優先。

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進学のための記録会は可能だ

もちろん、運動部などにおける体育推薦などの学生のための記録会としての役割がある事は一定程度は認めます。

しかしそれにしたところで、個別にタイムを計るなり、ごく小規模の記録計測などとして行う事は十二分分に可能であったはずであると、私は考えます。

・大声で応援
一体何を考えているのでしょう。何で、大声出して応援するのを教員たちは止めないのか。見て見ぬふりをしているのか?コロナの拡散をそんなに教育の現場で行いたいのか。

・30度以上の温度
その日は気温が30度位あり1日そもそもそのような温度の中で運動させること自体が間違ってるのではないかと思います

・マスクをつけない生徒
あと思ったのは、マスクをつけない生徒が非常に多数存在することです。まあ、マスクをつけるらつけないの判断は本人の責任ですが、少なくとも公共の行事として行っているのであれば、その辺はきちんと指導すべきでしょう。

・常識と乖離
親世代、祖父母世代への挑戦的行動
高校生とは保護者のもとに住んでいる、すなわち両親もしくは祖父母と暮らしているため、それらの者に対しウィルスを撒き散らす行為を教員自ら行う極めて非常識極まりないことをのように見えてなりません。

それは教育という思考停止のフレーズのもとに極めて、挑戦的な行動が実行されていると言えるでしょう。

・必死なやってる感のポーズ
村の教員たちはそれの会場の入り口にアルコール消毒などを設置するなどをして、やっている感の演出は必死です。

しかし先にも書いたように学生たちはマスクもせず大声で応援しているのですが。

・改めて教員の異常性を自覚
この者たちは感覚的に集団性を擦り込む害悪としての存在でしかないと考えます。

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私立が流行る理由もわかる

このような状況の教員のもとで自分の子供育てようと思わないことは、常識的な親心と言えるでしょう。

経済的格差による教育機会の不平等とは愚かな教員を放置することにより、ますます悪化するのでしょう。

また、それは為政者側からすれば、格差を意図的に広げるための、愚民教員化を意図的に行なっているのでは、とさえ疑ってしまいます。

なぜ、これほど教員が異常な行動や異常な思考できるのか、の原因を考えた場合、それは、まともに社会を経験したこともないような教員たちが学校に教員として赴任した瞬間に、「先生、先生」と教員同士ですら呼び合う、そのような異常な空間で日々を過ごせば、思考がねじ曲がるのは当然と言えるでしょう。

それに対して、どのように対処するかも一応書いておきます。

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教員たちとの対応方法

現場の教員とたちは学校という閉じられた空間の中で王様気取りで振る舞う不逞の公務員と言えるでしょう。

それらの者たちには、しかるべき監視の目を光らせるべきです。

授業参観なる一時的な見学ツアーではなく、常に勉監視する、もしくは授業ライブ配信もしくは休み時間でなども含め、間監視カメラを使い教員たちの生徒たちの間にいじめがないかを保護者が監視する、そのような体制が必要と言えるでしょう。

現在の社会がなぜここまで腐っているのか、その腐った社会が子供たちにどのように腐敗極まりない教育を行っているのか、それを体験することのできた出来事の記録としてこの記事を記述しました。

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