ボランティアをしてはならない。行政の善意への期待は社会を劣化させる

By | 2018年8月14日

ボランティアを行う人々が素晴らしいのは理解するが

先の異常台風などによって、多くの人々が被災し、そこにボランティアの人々が自発的に行動する事がありました。私はこれらの人道的な精神を持つ人々の行動について、人間として大変素晴らしい事であると認識します。

しかし、私は究極的にはボランティアはすべきではない、と考えています。なぜならば、ボランティアとは、社会、特に立法と行政が人の善意に頼る状態を形成している事にほかならないと考えるためです。

高い所得税、高い市町村県民税、高く、かつ、逆進性の存在する消費税、それらを支払いながら、いざ自然災害などが起こった際に、それらの税金の徴収先が発する言葉は、まず「自助努力」と言います。

何を言っているのか?と私は思います。自助努力ではなく、一体、何のために我々は普段、高い税金を払わされているのか? を認識せねばなりません。

また、その自助努力をまるで肯定するかのような行為がボランティアとなってしまっている、のではないでしょうか。

繰り返しますが、私はボランティアは善意で行う人々を非難するつもりや、また、その行動が悪いとを非難するつもりは一切ありません。それは人間として称賛されるべき、素晴らしい行為です。

しかし、本来、ボランティアは自発的に行われるべき行動であり、それをマスコミや、ましてや行政が賞賛する事は、行政が機能していない事の「失敗」として日本社会は認識すべきです。

つまり、ボランティアの活動を美徳として語るべきではない、ということです。

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ボランティアの美徳の裏の行政責任の放棄

ボランティアを募る、義援金を募るなどの行為は、それは行政が自らの責任を放棄した事に他なりません。

いったい公務員は、なぜ普段、高い給料を受け取っているのか? 自分の所属する市町村もしくは、県などが被災した場合、自分の給料を即座に返上して復興に当てるべきでしょう。

そうでなければ、いったい何のための「公」務員なのでしょうか。現在、公務員、特に市町村などのレベルにおいては、二世職員、三世職員が増えていると聞きます。

それはつまり、公務員という特権階級が作られようとしているのです。その特権階級達の給料を養うために我々は先進国最悪とも言われるような税金を払っています。

ちなみに、逆進性の存在する、つまり、「貧しいものほど負担が大きい」消費税は上がり続けますが、「豊かな企業ほど支払いを回避しやすい」企業の法人税は下がり続けます。

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ボランティアの「民間活用」の欺瞞性

数年ほど前に、私が勤めていたある会社で、会社の所在する近隣区域が自然災害を受けた際、事前に行っていた民間企業内の協定により、私の所属する企業から新入社員が「ボランティア」として災害現場へ派遣されました。

ボランティアとしての労働は非常に軽微な作業かと思いきや、その社員はボランティアの現場から帰ってきた際、数日間、出社ができないレベルで疲弊しきるほどの重肉体労働を強いられました

これらの「ボランティア」は、本来は行政が行うべき行動です。

私はリベラル左派的な言動をしていますが、そのような災害時には自衛隊は「自らを衛る」行動として適切に活躍すべきであると思います。

普段、徴税業務「だけ」は必死に行政権を行使する市町村の職員は、寝る間を惜しんでそれらの現場に駆けつけ、寝食を忘れて復旧活動をすべきでしょう。

それは、普段必死になって行う「徴税業務」よりも優先されるべき事項ではないでしょうか?

そうしなければ市民や県民の理解は到底、得られないでしょう。

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ましてや、絶対に東京オリンピックでのボランティアはしてはならない

また、最も分かりやすい事例としては、東京オリンピックが、あげられるでしょう。

東京オリンピックではボランティアが通訳や、道案内などを行うと報じられています。しかも、それらを行う者達に対してまともな宿泊費や交通費も与えられないと聞きます。

また、東京クリニックに学校ぐるみでボランティアに強制参加させるため、ボランティアを単位として認めるなど話も出てきているようです。

それは本当に「ボランティア」なのでしょうか。

それはもはや人の善意に頼る事に慣れきった日本社会の、最も醜悪な形での現れではないでしょうか。

本来オリンピックのような大型公共事業であれば、それは所得の再配分の意味を含め、ボランティアではなく短期労働者として、それらのスタッフを雇用すべきです。

そのため、オリンピックに携わる短期労働者は全員、臨時公務員にするべきです。

とはいえ、一番良いのは東京オリンピックなど即座に中止する事ですが

一体全体、この借金まみれの、少子高齢化の、就職氷河期に対し何ら救いの手を差し伸べない日本社会が、オリンピックのような「国際運動会」を開き、それに自画自賛と共に陶酔する余裕など、本来は全く存在しないはずです。

ボランティアが浮き彫りにする社会の欺瞞

ボランティアとの聞こえの良いフレーズは、社会の醜さを別の角度から浮き彫りにし、社会の問題をえぐり出すします。

行政が、「ボランティア」とのフレーズを発した瞬間に、それは本当に無償の労働で市民が行うべき事なのか、を考えるべき、と私は訴えます。

本来、それは行政がするべき事ではないのか? なぜ、それを市民の善意を利用してタダで行わせようとするのか? なぜ、それを行政がしないのか? そんな簡単な疑問を。

それらを考えれば、この社会のおかしさと、醜さの一端が見えるのではないでしょうか。

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