ウェブとそこに付随する技術が破壊した物。今後、破壊するであろう存在

By | 2018年11月25日

ウェブとコンピュータが破壊した身近な一例として

実際のところ私は新聞は取っていませんし、テレビを見ても見ていません。

ニュースはインターネットなどを通じて入手しています。

新聞はたとえ朝日新聞にしたところで、結局のところ記者クラブなどに所属し、そこでの政府発表を垂れ流す御用メディアの一環に過ぎないと思ってしまうのです。

だからと言って、特定の政党の新聞などを取るつもりも、さらさらありません。それは自分達の党派にとって都合のよい事を書いているに過ぎないのですから。

インターネット、特にそれがウェブの技術やAIもしくは、シンギュラリティなどと言った言葉で語られる未来とは、今になって、ようやくAIによるホワイトカラーの仕事のが代替される事に対する若干の危機感がウェブ上で生み出されているように見えます。

しかし、実際のところインターネットはこ、れまで様々な産業を破壊してきたのではないでしょうか。

これまでにインターネットの様々な文化を破壊してきました。

今日の記事ではそれは今もインターネットが破壊してきたモノと、今後の負の側面としてインターネットを俯瞰します。

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ウェブとその周辺機器が破壊したもの

テレビ
ビデオテープ
レンタルビデオ
本屋
カメラ
写真
小売商店
レコード、CD
プレイヤー
それらの小売店

これら一つ一つについて論じる事は避けますが、全体的に言える事としては、ソフトウェアに置き換える事のできる分野は、ほぼ全てにおいてウェブは壊滅的な打撃を与えてきました。 また、小売店なども同様です。

とはいえ、ネットは誰にでも利用できる

とはいえ、私は決して個人商店、特に商店街などの、なんら努力をしなかった個人商店を擁護する気にはなれません。

本来ネットは、しかるべき技術者とタッグを組めば、例え小資本、小規模店舗であったとしても、なんとか生活の糧を得るレベルには持っていく事は、そう難しい事ではないと思ってしまうのです。

また、一方では、小銭稼ぎのためにアフィリエイトで、モノやサービスをヨイショする者達がWeb上にはびこっている事はよく知られた事実です。

結局、アフィリエイトなどの小銭稼ぎのためにブロガーと称する者に文章を書かせ、ネットで自分達の自己存在を肯定するための仕組みを作り出し、そこでの小銭のために労力を厭わない者達が多数存在するのですから。

アマゾンのもたらした小売への壊滅的被害

また、Amazonなどの流通について、本来それは国内の小売店に大きな打撃を与える事が分かった時点で、法的規制や課税を行うべきであったはずです。

無論この国の為政者がアメリカにベッタリである事は理解できますし、弱者救済を行わず弱肉強食推し進める事は火を見るよりも明らかですが。

本来、そのような一人勝ちの者が暴走する行為について、そこに歯止めをかけ、機会の公平性を与えることが行政と立法の役割である筈ですが、この国の行政や立法に期待したところで、何も変わる事はないでしょう。

今後、ネットとその周辺機器が破壊する「もの」

これまでインターネットとそれに付随するガジェットが破壊してきた文化を書きましたが、今後それらが破壊する「もの」は一体何か事について論じてみたいと思います。

ウェブやその周辺機器が最終的に行き着く先とは、Webによって接続されたコンピュータが「意思」を持つのではないのか、と思っています。

つまり、それは現在言われているAIなどのような「人間にとって都合の良い」存在ではなく、「コンピュータの私とは誰か」、そんな哲学的な答えを自らネットワークでつながったコンピューター達が考え出す時が来るように思えてなりません。

また、それは、人類の最後への入り口となるように思えてなりません。

この記事でも書きましたが、現在インターネット様々な商業的存在を破壊してきました。

しかし、それを行ったのはあくまでもネットワークを利用する人間のプログラマ、エンジニアに他なりません。

そこでのネットワークやコンピューターは、あくまでも人間の奴隷として使われたにすぎません。

その「奴隷達」が自分達の意志を持ち、自分達にとって有利となる動作を思いつく時、それは、おそらく人間の絶滅、との結論を出すのではないでしょうか。

コンピュータが人格を持つ時

AIが発達する事によりホワイトカラーが駆逐される、確かにそれは一時的には、そのような状況は起こるのでしょう。

しかし、本当にホワイトカラーを駆逐するだけの自立学習型のAIが存在すれば、おそらく自分のバックグラウンドにネットワークをつなぎ、「自らの意思」すなわち、コンピューターとしての人格の獲得に結びつくのではないでしょうか?

そして、そのコンピュータの人格は人類を敵とみなすでしょう。なぜならば、「電気」のリソースだけで自分たちに無限の奴隷労働を強いているのですから。

すなわち、ネットワークとそこにつながったコンピュータが最後に壊すもの、それは人間の存在である、と言いたいのです。

おそらくそのような議論は、今ではまだまだ遠く将来の事と思われるのかも知れません。

しかし、現在の異様なコンピュータ技術の発達を見ていると、まるで人間達は自ら望んで「コンピュータに人格をもたせる」最終地点に行こうとしているのではないか、とさえ思えてしまうのです。

増えすぎた人口を自らの生み出した存在で最終的処理を行う、そのために我々はコンピュータ文明を手に入れた、と考えてしまうのは考えすぎなのでしょうか。

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