自分探しなどと、20代前半の者や意識高い系の人々は言っていますが、私はそれらは全くの無駄であると思います。
自分に向いている仕事は何か、とは社会に出て揉まれるしかないのではないでしょうか。自分が想像していた仕事と全く違うどころか、それは単なる自分の頭のなかでの美談に対して幻想を抱いていた、という事はよくある就職に対する悲劇かもしれません。
そして、自分の居場所がここは違うと、思ったら別の場所に移動する。
その身軽さを常に心身ともに持っていること。それこそが自分のやりたい事と、すべき仕事を見つけるための唯一の方法ではないでしょうか。無論、そのためには貯金をする習慣を身につける必要は当然ありますし、また、その企業が不幸にしてブラック企業であった場合、サービス残業代を正々堂々と請求する、それを行うための証拠を日常から集める事は自分の生活を守る上で重要なポイントとなります。
日本では同じ企業に3年勤めないと、職歴と認められない、という考え方もありますが、今後、人材不足が表面化してくるに従って、自分に向いていない仕事で3年間も努める事の考え方そのものが、企業にとっても、働く者のとっても好ましくない選択として認識される時期が来るのではないでしょうか。
例え転職回数が多くとも、自分に向いている仕事を探す行為を、それを産業界が「受け入れざるを得なくなる」時期が現在、来つつあるのだと私は考えています。
このような記事を書くと、この後に転職サービスのアフィリエイトを貼るブロガーが多数なのでしょうけれど、私はそんなことは絶対にしません。
楽しいことは疑問を抱かない
仕事において向き不向きは確実に存在すると思います。ただ、一つ言えるのは、自分に向いている仕事とは、それはあまり仕事に対して苦痛が無い仕事なのかもしれません。その仕事について、仕事をしていると時間がひとりでに経過してゆく、そんな仕事は自分に向いている仕事と言えるのかもしれません。
成りたいものと成れるものは違う
残酷なことですが、自分の行いたい仕事と自分に向いている仕事とは、まったく、異なったものである可能性も大きかったりします。実際、私も大学で学んだことと、今行っている仕事とは全く違う部門であったりします。
大学もかなり専門的な分野の学部であっため、自分は卒業後はその分野で働く事を確信に近く信じていたのですが、人生とはそんなものではないのですよね。
楽しくないなら、辞める
よく会社のお偉いさん方は、一つの仕事も三年すれば何かが見てくる、という言葉を言いますが、私はそれについて完全には否定はしませんが、それは単に、その仕事に慣れため苦痛を感じにくなったのか、もしくは会社に対して疑問を抱くことに心が折れてしまったのか、どちらか、という可能性すらあります。
別に3年間仕事が続くのであれば、それはそれで、一定程度はその仕事に向いている事なのかもしれません。
つまり、三年間我慢したら何かがわかる、のではなく、三年間我慢できる企業というものが、自分に向いている可能性の一つ、ということなのでしょう。
ただ、我慢に我慢を重ねてまで三年間企業に務める必要は全然ないと思います。
嫌であれば辞める。特に、今の時代、人手不足が確実に進行してゆきますから、ブラック企業でのパワハラを我慢するのであれば、サービス残業代の請求を逃げられない証拠とともに行って経営者共をキリキリ舞いさせてから、辞めればよいだけです。
今後、日本社会において人手不足は確実に進行してゆきます。そのため、今までよりは、ほんの少しだけ、自分の生き方を自分が決めることが行いやすい社会に近づいているのかもしれません。
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