
ヤフコメと意見の偏向と、その意図
私は、インターネットのyahooにおけるヤフコメ自体の存在が非常に意見の偏向もしくは、社会的な停滞感を生み出している存在理由の一つである、とすら考えているのですが、しかし、ここに至ったヤフコメを、今後積極的に「記録として」残すべきではないか、と思うようになりました。
その理由としては、ヤフコメのは今の停滞する日本の雰囲気を表す、また、いわゆる保守派と呼ばれる者達の考え方を端的に示す、その非常にわかりやすい例として捉えうるのではないでしょうか。
そのようなヤフコメを保存し、それが一体いどのような記事に対して書かれていたのか事を保存しておく事によって、日本社会がどのように衰退していったのか、また、その衰退する時に、保守派もしくは、右派と呼ばれる者達がどのような思考回路を持って自滅をして行ったのを記録できることになります。
空の記録は、5年後もしくは10年後に、日本の惨状への道程を考察をし得るための非常に貴重に資料資料として用いる事ができるのではないでしょうか。
大本営発表の場所の歴史的な差異
もちろん、それに似たような資料は過去もあります。その一番わかりやすい例としては、先の対戦における大本営発表の、「勝った、勝った」と垂れ流す、一方的な都合のよい報道です。
また、、町内会レベルでの相互監視、また、それらを通じて貼られていたプロパガンダのポスター、無論、それらは基本的に当時の世相は上からの押し付けであったメディアでありそれらが相互監視リアルの社会において機能していたのですが。
ヤフコメは意図するものによって操作しうる
とはいえ、私はヤフコメ自体が、何らか意図を持った業者によって組織的に書き込まれた可能性が十二分にあると考えます。もしくは、ヤフコメを使って世論操作をしている可能性も十二分にあるのではないでしょうか。
しかし、そのように操作可能なコメントの場所であったとしても、そこに一般の人々も意見も書き込む事が可能である事も事実です。
つまり、保守派の意見と、そこに存在する常識的なリベラルの意見、それらの対比を分析する事により、この国の衰退のプロパガンダと、そこに存在した一般の人々のマインドを比較対象として検討できる、非常にわかりやすいテキストかも知れません。
まとめとして
とはいえ、5年後、10年後に没落した日本で、失敗の原因を追求するほど冷静な社会であるのか、と考えると、そんな事が可能であるほど、この国は理性的ではないように思えますが。
とはいえ、今後、ヤフコメは心あるものによって、今後、きちんとした形でデータとして残しておくべき記録ではないでしょうか。
無論、一番良いのはヤフコメが存在しない事に越したことはないのですが。
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