
この映画は100人見れば100人違う見方をする
その映画を100人見れば、100人全然違う感想を抱くのではないか、と思ってしまいました。
一見した所、ゆるい雰囲気につつまれるヤクザの事務所。ただ、そこには確固たる上下関係があり、部屋住みの若者もいる。
ヤクザの人権について
この映画のタイトルにあるヤクザの人権とは一体何なのか。
ただ、私はヤクザについて彼らを手放しで弁護する事はできません。それは現在ではヤクザは警察によって厳しい取り締まりが行われていますが、では昭和の後期までは一体、どのような状態であったのか?という話になります。
私はこの映画に恐怖を感じました
他のブログで、この映画表見て、ヤクザの世界は思ったよりも、ゆるゆるだ、などと書いているブログもあったのですが、一見したところは、そのような雰囲気にも見えます。
けれど、私はこの映画を見て非常に恐怖を感じました。
つまり、現在のヤクザとは普通の人々の様な姿をしながら、その裏でヤクザ活動を行っている事実、それを客観的に書いたドキュメンタリーですから。
あなたの隣にいる一見、無職の人は、その人はヤクザかもしれない。
私がどこで怖いなと思ったのか。とりあえず一つだけ。
この映画の中でこのヤクザの組長が
「ふらりと入った男性客が、『たまたま働いている女性と自由恋愛をし、肉体的な恋愛関係』をする料亭」
が並んでいる一角を歩くシーンが有り、
「べっぴんさんが、おるやろ」
と言うのですが、つまり、そのようなフレーズを言えるのは、その地域を仕切っているからこそ言える言葉です。
まあ、それらの料亭で行われているのは、「自由恋愛」なのですから、そこで働いている女性たちは、自らの意思で、そこに来たのでしょう。
彼女たちの一部は、「誰か」に借金のカタとして連れられてきた、という事など、多分無いでしょう(棒読み)
それでも暴力団排除条例でも避難しない理由
この映画に登場するヤクザの顧問弁護士が言っていように、アウトローな人々にも人権はある、それは私は十二分に理解できます。
ただ、ひとつだけ言えるのは、現在の暴力団排除条例は間違ってはいない、と思います。
今まで暴力団があまりにも社会的に突出しすぎた、その反動として決定的な取り締まりが行われているのです。
そこには当然行き過ぎの面があることも事実です。しかし、彼らがこれまで行なってきた事を考えた場合、そのような「行き過ぎの面を持つ」法律を作らざるを得ない状況であった事も、理解できるものです。
暴力団が自然消滅するまでの、過渡期に起こる、様々な矛盾と捉えるべきかもしれません。
総評
この映画は事前の予備知識なしに見た方が、考えさせられるかもしれません。
予備知識なしで見て、ヤクザはゆるい日常を送っていると思うのか、それとも、ゆるい日常をとして覆い隠された彼らの社会との関わりを見るのか、それは、見る側の知識量と、社会の見方をストレートに反映させるものです。
ヤクザの親分、事務所に住む部屋住みの若者、ヤクザを弁護する弁護士、ヤクザを取り締まる警察、ヤクザにみかじめ料を払う人
この映画にはヤクザを取り巻く様々な人々が出てきます。そんな現代の「好まれざる人々」の、けれど、そこに確実に存在する人生の一部を切り取った映画であると私は見ました。
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